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​夏涼しく、冬暖かい不動産を知る、探す、作る
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「冬暖かい家」に恋い焦がれたきっかけは、幼少期の「暖かくて幸せな家」?!

今回は、断熱不動産住まいのママトークの後編です。

暖かい家に恋い焦がれた伊藤さんと私、意外な共通点があったのです。


前編はこちら↓

(上)現在トップレベルの断熱性能にリノベーションされたのは、

幼少期の幸せな記憶が詰まった伊藤さんの実家。


丸田:伊藤さんは、広告の世界でお仕事をしてきて、建築の世界は全然知らなかったのに、今では断熱の本を編集するまでになっています。

私も、東京で建築の仕事をしているときは、前衛的なデザインをメインにやっていて、まさか自分がここまで高断熱住宅に関心を持つとはおもっていませんでした。

伊藤さんと私、実は、共通点がありそうだなと思っていることがあるんです。それは、小さい頃に一時期だけ、すごく暖かい家に住んだことなんじゃないかって。


伊藤:丸田さんもですか!


丸田:実は、私は、6歳の頃に一年間カナダ(ニューファンドランド島とオタワ)に住んでいた経験があるんです。極寒で、冬は川の上を人が歩いているところでした。でも、家の中は外が冬だとわからないくらい暖かいんです。不思議だなあと思って過ごしてました。そして、日本に帰ってきたらとにかく家が寒く感じるようになったんです。

両親は私が小学5年生のときに、山形に一戸建てを建てたんですが、その家がまた寒くて。両親は、カナダの家が暖かかった理由は暖房器具だと思ったそうなんです。そこで断熱性能の低い家に、当時山形で普及していなかった全室暖房の暖房機をつけてもらったんです。

でも、その家は断熱性能が低かったものだから、熱がダダ漏れ。そんななか全館暖房したものだから光熱費が半端なくかかってしまいました。

結果、光熱費を抑えるために全館暖房の利用は極限まで減らして、使う部屋だけ灯油ファンヒーターを使って暮らしていました。18歳でその家を出るまで、私は、ずっと、「寒い寒い」って家の文句ばっかり言ってました。両親には申し訳ないことをしてしまいましたが、「暖かくて幸せな家ってあるんだ」ってことが、記憶の中に残ってたからかもしれないです。

でも、ずっと「暖かくて幸せな家」と「高断熱高気密」という技術が結びつかなかった。建築のプロなのにお恥ずかしい話なんですけど。


(上)35年ほど前のカナダ滞在時、

父の同僚がセミセルフビルドで建てた温室付きエコハウスを訪問。

寒冷地なのに、バイオトイレまであるお家だった!


北海道に来て、高断熱高気密の家を体験させてもらって、「あ、なんかこの幸せ、懐かしい。これだったんだ!」って思い出したんです。

伊藤さんも、9歳まで過ごしたこの家がとっても暖かくて幸せだったことを、大人になって思い出したっていってましたよね。


伊藤:わたしは2段階あって、まずは9歳のときに札幌から神奈川に引っ越した時。「なんで暖かい気候のところに来たのに寒いんだろう?」暖房を消したら臭いんだろう?って思ってましたね。当時、札幌の家は樹脂ペアガラスでスタイロ系の断熱材が100mmくらい入ってたので。あと、北海道は煙突式のストーブがスタンダードじゃないですか。だから、オンオフのたびに、灯油臭いストーブが不思議で不思議で。でも、気がつけば意識しないくらいにはそういうことに慣れていくんですよね。だから、家の断熱性能とか暖房の種類とかを意識する機会はほぼなくなった状態でした。

次に強烈に断熱を意識したのは、3.11のあと東京のアパートから熊本の築100年くらいの隙間だらけの町家に引っ越したときです。またまた「なんで暖かい気候のところに来たのに寒いんだろう?」という状態が、9歳のときよりもワイルドな感じで訪れて…。いろいろ9歳のときの記憶がフラッシュバックしましたよね(笑)。


丸田:高断熱高気密の家で育っている我が家の子どもたちですが、寒がりかと思いきや、真冬の外遊びでも薄着で飛び出していきます。帰る家が快適だとわかっていれば、外の寒さや暑さを余裕を持って楽しめるそうです。北大名誉教授の荒谷登先生は、そのことを、「暖かな家は、冬を友達にしてくれる」って言っています。

季節を友達にできる家が日本中にたくさん建って、快適さと家族の円満と健康と美容は、家で作るんだっていう価値観が当たり前になるといいなと思います。


伊藤:荒谷先生の言葉を聞くと「北海道だからじゃない?」なんて言われそうだけど、布団から出れないとか、灯油くさいなぁ、って思っているような小さなことの蓄積が、きっと冬を憂鬱にしてますからねー。ふつうになってほしいですね、断熱不動産!

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