今回は、まちにひっそりとたたずむ断熱不動産を紹介する、発掘断熱不動産の第二回目です。
第一回目は、日本で最初の外断熱改修マンション「大通ハイム」を取り上げましたが、こちらが想像を超えて伝説の物件でした。
大通ハイムは、つい先日、北海道新聞にも取り上げられていましたが、もしかしてもしかして断熱不動産の影響だったら。。。などと妄想してしまいました。
ということで戸建て住宅も伝説の物件から気張って始めたいと思います。今回は断熱不動産最高峰、断熱に関心の高い建築関係者にとっては、あこがれの聖地でもある、日本で最初の高断熱高気密住宅、荒谷登 北海道大学名誉教授の旧邸をご紹介させていただきます。

断熱不動産は、不動産サイトですから、できれば今後中古物件を選ぶ方々に、参考になる物件を紹介したいと考えています。
こちらの旧荒谷邸も、売買によるオーナーチェンジを一回経験しており、かつ、現役で住まわれている物件になります。
伝説の物件を引き継いだのは、荒谷先生の北海道大学建築学科建築環境学講座の教え子、 サデキアン モハマッド タギさん。我々、札幌で建築に関わるものが大変お世話になっている、環境コンサルタントです。断熱不動産を中古で手に入れたタギさん。そのライフスタイルや建物との付き合い方についてお聞きしてきました。
伝説の断熱不動産とは
まずは、旧荒谷邸のプロフィールを。旧荒谷邸は、1979年に建てられた、コンクリートブロック積み2階建+ロフトの建物です。札幌市手稲区の高台にあります。
建物のプランはほぼ左右対称の2世帯住宅。2階には、リビング、キッチン、トイレ、お風呂がすべて2セットづつあります。総面積は、323.4m2、100坪近くのとっても大きな建物です。
断熱材の厚みは、屋根でグラスウール400mm。外壁は、スタイロフォーム150mm+グラスウール90mm、基礎はスタイロフォーム150mm。日本で最初の高断熱住宅であるこの家は、現在トップクラスの高断熱高気密住宅に引けをとらない断熱スペックを持っています。

基礎が高くなっている部分が、断熱材の厚み。
その内側で基礎が低くなっている部分は、コンクリートブロックの厚みを示す。
さらに、断熱材に包まれた内側に、コンクリートブロックの構造壁があります。コンクリートブロック造の建物は木造に比べてより簡単に気密を高め隙間風を抑えることができます。さらにその外側に断熱すれば壁内結露などの問題も解決します。簡単に言えば、熱しにくく冷めにくい性質を持つ石鍋を断熱材という毛布でくるんだような構造は、熱がより逃げにくく安定した壁面温度と室温を保つことができます。
詳しい建築技術情報については、去年の春出版された雑誌、建築知識ビルダーズ28号に、とても詳しく紹介されています。なんと、巻頭17Pにわたる大特集でした。築39年の建物に、ようやく時代が追いついてきたのかもしれません。さすが、敏腕美人編集長が牽引する雑誌です。
教え子に住み継がれた家
北海道大学を退官して17年が経った2010年、娘夫婦の元に移り住むこととなった荒谷先生は、不動産屋さんにこの家の売却を相談しました。しかし、不動産屋さんは、家を壊して更地にして売ることを勧めたそうです。「この家の価値がわからないなんて。。。」と悲しんだ荒谷先生が、家を譲り受けてくれないかと、話を持ちかけたのが、教え子のタギさんでした。
荒谷邸は100坪のとても大きな建物なので、自分の家族だけで住みきれるか迷ったタギさんですが、最終的には、この建物の価値や荒谷先生の思いを考え引き継ぐことを決めました。タギさんは、荒谷先生から住宅を購入するために銀行で融資を申し込みました。不動産屋が価値を評価しなかった建物ですが、銀行は、コンクリートブロックの強固な構造を評価し、土地建物を担保と認めて購入金額全額を融資してくれたそうです。
まるで文化財の修繕? 家の価値は、住み手が育てる
荒谷邸の建設は荒谷先生やその教え子も加わった、半セルフビルドでした。高断熱の建材がまだ開発されていない時代ですから、トリプルガラスから、断熱玄関ドアまですべて手作りで作られました。玄関ドアは、外開きと内開きのドアを二枚重ねて作られました。これら手作りの窓枠やドアはほぼすべてが今でも現役で活躍しています。
家を譲り受けたタギさんも、できる限り自分自身で建物の手入れをはじめました。ホームセンターで買ってきた配管で、水道管を取り替えたり、電気配線をやってみたり。
最近では、外壁から飛び出している日よけを取り替える大掛かりな外壁工事をしています。外壁工事の際は、オリジナルの外壁板を一度剥がして塗り直し、もう一度張り直しています。外壁の板に一枚一枚番号を振って管理するやり方は、文化財の修復のようです。ここにタギさんの建物に対する考え方があります。

一階の庇を修復したのちに、一枚一枚戻されたオリジナルの外装材
古さで価値が増すイラン
タギさんが生まれたのはイランにある築150年を超える住宅でした。イランでは、建物を長い間、修理して使うのが当たり前でした。
もちろんライフスタイルは、時代によって変わります。イランでは昔は、炭を使ったコタツをカーペットの上に置く暖房でしたが、今はエアコンが主流のようです。しかし、ライフスタイルが変わったからといって簡単に家を壊して建て替えることはしません。もとの建物を活かし、自分たちで暮らしに合わせて自分たちで作り変えていくのです。
なぜなら、イランでは、古いもののほうが価値が高い、という文化があるからだそうです。日本では、一部の文化財でしか古さは評価されません。文化財の建物ですら、存続が難しいものもたくさんあります。しかし、イランでは、古さは価値であるということが、一般市民の家においても広く認識されているようなのです。
なんと、車でも、古いもののほうが価値の高いことがあるのだとか。故障するかどうかわからない新車よりも、長い間故障せずに走った車のほうが信頼できる。とタギさんに言われたときは、なるほど!と、ん?が交互に頭をめぐりました。まだまだ私も新しもの好きの日本人脳なのでしょうか。
家は住み継がなければ古くなれない
けれど、古さで価値を高めることも簡単ではない、とタギさんは言います。
1世代では家の価値は作れない。
2、3世代住み継ぐことができれば、家族の遺産になる。
5,6世代住み継ぐことができれば、町の遺産になる。
それ以上住み継ぐことができれば、国の宝になる。
そんな家をどうしたら作れるでしょうか。それは、構造や耐久性、断熱といった建物のベースをしっかりと作った上で、劣化しないよう、時代に合うよう、常に手入れしていくことだ、とタギさんは言います。
タギさんは環境コンサルタントの知識を活かし、この建物をさらにバージョンアップさせています。灯油の温水セントラル暖房(灯油で沸かしたお湯を家の各所に置かれたパネルヒーターに回す暖房)だった建物を、引っ越して3年目に薪式の暖房に変えました。
玄関においてあった使われていなかった古い薪ストーブを地下室のボイラー室によいしょよいしょと移して、使い始めたのです。(実は、このストーブ、暖房機器メーカーによって日本に3台のみが輸入され、その一台が荒谷先生に贈られたという、高級な北欧産ストーブでした。)

ドラム缶ですか?と聞いてしまった薪ストーブ
実は、デンマーク HansDall製の高級デザイナーズストーブ
内部に耐熱レンガが積まれている。
すると、なんとこの薪ストーブ一台をゆるゆると炊くだけで、100坪の大きな建物が隅々まで暖かくなることがわかったのです。
地下室は家の一番低い位置にありました。冷たい空気は比重が重いため、低い部分に集まる習性があります。家中の冷たい空気が地下室に降りてきて暖められ、暖かい空気になって上に登っていく。この自然のサイクルを使って、何一つ機械を使わず、家を隅々まで温めることができたのです。この自然のシステムがきちんと働くのは、しっかりとした断熱材やトリプルガラス、コンクリートブロックによって外部の隙間風や寒さから家が守られているおかげです。
お風呂や調理に使う給湯ボイラーには灯油を使い続けています。しかし、そこにも新しい仕組みが取り入れられました。水は給湯ボイラーに行く前に、屋根面に取り付けられた真空式の太陽熱温水器を通って暖められ、タンクに貯められます。その後タンクから給湯ボイラーを通って給湯温度まで暖められて蛇口から出てきます。この、太陽熱温水器の利用によって、タギさんの家の灯油使用量は、年間100Lまでに激減したそうです。一年で100Lというのは、月にすると、灯油ポリタンク18Lの約半分です。タギさんの家の灯油タンクは400Lなのですが、その中身を使い切るのに、4年かかったそうです。

太陽熱温水器の温水貯蔵タンクとコントローラー
さすが専門家です。
気になる住心地は
この家の住心地のよさについて、「この家に来る前は、人生を損していた」とタギさんは語ります。この家に住む前は、「家なんてこんなものだ、どの家も似たり寄ったりだ。」と思って、寒さ暑さを我慢する生活だったそうです。
しかし、この家に来て、冬の穏やかな暖かさ、夏のひんやりとした涼しさの快適さに、心底驚いたそうです。

リビングの上部。ロフトまでいっぱいにとられた窓から光が差し込む。
植物も元気。
一番変化が大きかったのは、子どもたちだったそう。まず、冬でも適度な湿度が保たれるため、子どものアトピーが治ったこと。そして、外の寒さにも平気になり、冬も活発に外遊びをするようになったそうです。どんなに寒くても外で遊ぶ元気があるのは、「家の中は暖かい」という安心感があるからだそう。
荒谷先生はこのことについて、高断熱高気密住宅の快適性は、「冬は友達」にしてくれる。とおっしゃっています。

家の一角にある、荒谷先生の記念資料室に飾られた古い展示パネル。
「冬は友達」という言葉が。
楽しさと快適さ、そして安心を両立する暮らし

がらりと開けた小屋から出てきた美しい鶏たち。
天然のダウンで断熱されたこの子たちも、寒さが大好きなのだそう。
タギさんのライフスタイルも魅力的です。裏の小屋で飼われているのは、絵本に出てきそうな立派な鶏たち。毎日生んでくれる卵はタギ家の食卓にのぼります。
訪問したのは雪がまだ残る春先でしたが、屋根付きのバーベキューテラスに置かれた立派なピクルス瓶からは、自家菜園の充実ぶりが感じ取られました。

お正月でも雪見バーベキューをするという屋根付きテラス

大きな瓶いっぱいの自家製ピクルス

この家のメンテナンスのため、窓枠まで手作りしているDIY部屋は、職人の作業場のよう。
電気式の薪割り機は、力も使わずにパコンと割れる様が爽快なため、奥さんの趣味は、薪割りなのだそう。タギさんは、薪割りをさせてもらえないのだそうです。

電気式の薪割り機
自給自足の暮らしというと、なにかと大変そうなイメージがありますが、太陽熱温水器や薪割り機など、便利なテクノロジーをしっかりと取り入れた暮らしは、楽しさと快適さが両立した印象を持ちました。
家が地域の宝になっていた
そして、この家は2代目にしてすでに、地域の宝となりつつあります。
災害時の避難先として、ご近所の方々の予約が殺到しているそうなのです。
薪ストーブの暖房で、停電時も変わらず暖かですし、庭先には井戸もあって水も確保できるそう。太陽熱温水器で温水もつくれます。この家の性能は、今やタギさん一家だけではなく、ご近所の人々の安心すら作り出しているのです。
いつかこの家を離れるときは、必ず、家を引き継ぐ人を見つけてみせる、とタギさんは言います。
家は住まれてこそ生き、生き続けてこそ、更に価値を増していく。
断熱が作り出す快適性は、住む人、そして、次に住み継ぐ人々を惹きつける魅力として、家の価値を高める原動力にもなりえるかもしれません。
前回ご紹介した「大通ハイム」にも通じるのですが、建物が愛され、愛されることで生き抜いていく力を、この断熱不動産からも感じました。
発掘断熱不動産、次回もお楽しみに!
(取材・文章 丸田絢子)